お疲れ様です。亀岡です。
本日、朝8時前。
無事、奈良より夜行バスにて帰郷してまいりました。
東京で4月に上演した『えびすしげなり』の奈良版。
本公演以外の奈良での公演。
スタッフの皆さんや大勢のキャストで地方を周る本公演とは違い、現地のスタッフの方々や、よりたくさんの方々にお世話になりました。
ご来場くださったお客様、客演さんスタッフの方々を含め、公演に関わってくださった全ての皆様、そしてそして、奈良滞在中、宿泊からなにまで、大変お世話になりました皆様、本当にありがとうございました。
この一週間のカムめくりは、おそらく冒頭、この様な内容が続くかもしれませんが、なにとぞ、宜しくお願い致します。
そのぐらい、感謝感謝の公演でございました。
改めてこの場をお借りして、ありがとうございました。
そして、そんな感謝感謝の公演も終わり、それまで怒涛の日程を過ごしてきました『しげなりズ』でしたが、公演終了翌日24日。夜の夜行バスまでの時間、一日ぽっかり空いた時間に、何人かで明日香村に行ってまいりました。
カムカム入団以来、何度も奈良には行かせていただき、東大寺や薬師寺興福寺など、行かせていただいておりましたが、その時代よりももっと前、飛鳥の時代の文化が色濃く残る明日香村。
楽しむと、思わず写真を撮るのを忘れてしまいがちなわたくしではございますが、何枚か写真があったので、あれしてみますね。
まず、近鉄奈良の駅から電車で揺られる事約1時間。
ちょっと不安になるレンタサイクルの彼がお出迎え。飛鳥駅到着です。
レンタサイクルを借り、いざ出発。
まずは、高松塚古墳。
古墳はともかく、広大な土地に広がる緑と、秋の涼しい風に、完全にうかれる平均年齢30オーバーのしげなりズ。
自転車で周る明日香村は、あまり見た事ない不思議な地形をしていて、ほんとにあちこちに、小さな丘見たいのがポンポンあって、古墳だったり、建造物だったりが、そのかしこに点在しておりました。
明日香村のセブン。
なんの歴史的建造物かと思ったら、はい、セブン。
そして、聖徳太子が生まれたとされる橘寺へ。
二面石。
右面が善を表し、左が悪を表していると言われる、橘寺の人気スポット。
その案内の看板。
きっと下書きを消す前にペンキ塗っちゃったんだな。残念でした。
往生院の天井絵も、歴史的なあれではありませんでしたが、とても綺麗でございました。
高松塚古墳の壁画もそーでしたが、その他にも、橘寺で展示されていた落雷でなくなってしまった五重塔で使われていた瓦なども見たりしながら、仏教の文化が渡ってきて間もない時代だからなのか、より中国に近い文化を感じるつくりだったり、様々に形を変えていく文化の歴史を辿るというのは、なんとも趣きのあり、良き事だなと感じながら、橘寺を満喫。
一通り橘寺を周り、メインの石舞台古墳に向かう前にして、早くもバテるしげなりメンズ。
そんなメンズの尻を叩いて、いざ石舞台古墳へ。
こちらは、弥生時代や古墳時代の雰囲気を残した、橘寺とはまた全然違った雰囲気。
『感じる人は感じる』
蘇我馬子のお墓と有力視されている古墳ももちろん、天皇陵などもあり、『感じない人』代表でもあります僕も、さすがになんかわかりませんが、古墳を作った大勢の人々や、高貴な人間たちの魂が入り混じった空間の空気を感じました。
他のしげなりズのメンバーは、興奮もMAXに達し、石舞台古墳の前で、フリスビーしてました。
そしてその後は、飛鳥寺。
日本最古の寺とも呼ばれるお寺。
そのお寺にある飛鳥大仏。
明日香村に来て、一番の興奮。
他の大仏にはない、面長な顔立。
飛鳥寺の安居院の御本尊として、ほんとに小さな場所に、圧倒的存在感で佇む大仏。
二度の火事で、建物が全焼し、再建する際も、全く動かす事もなく、1400年もの間、ずっと同じ場所に座り続けている飛鳥大仏。
その面長な顔立は、向かって左から見ると微笑んで見えるとの事だったのですが、自分は、右側から見る、なんとも表現し難い、1400年もの歴史を見てきた者にしか出来ない表情がすごく印象に残りました。
そして、最後は甘樫丘。
明日香村が一望出来る丘で、一日を振り返る。
そして、しげなりを振り返り、そして、ひーるべるへ、思いを馳せる。
大変いい気分転換になりました。
もう今週末からは、ひーるべるの稽古が始まります。
気持ちを切り替えて、稽古に挑んでいきたいと思います。
23日から、カムカムミニキーナ2012年本公演『ひーるべる』のチケット一般発売も始まっております。
是非とも皆様のご来場を、心よりお待ち申し上げております。
それでは、過ごしやすい涼しさからあっという間に肌寒い季節になってきてしまいましたが、皆様におかれましては、風邪など引きません様に。