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蝶つがい〜のおかげで、夫婦について考える〜
「つがい」

たのまれて

アイツは迂回して
ソイツはショートカットして
あわない途中
あわない最善

同じゴールテープをきれば
なんとなく
よしとする

か?

<<あとがき>>

カムカム春公演「蝶つがい」

響きのよい題目ですね。

蝶つがい

そう言えば、回り見れば結構身近にたくさんある蝶つがい。でもなかなか注目したことがない。あらためてじっくり蝶つがいを見る。
ほんとだぁ。蝶々みたいだ。合わさったり、離れたり。しょっちゅう飛んでますね。

あらすじを読むと、「蝶つがい」という題目から想像するストーリーからはやはり越えてる。
マフラーや、つがいからでしょうか、「貝」や、物言わぬまま「死」ぬとか、またまた興味深いストーリー。

これから副題も発表されると思いますが、私はカムカム芝居の副題が好きなのです、それがとても楽しみです。

個人的に「蝶つがい」と聞いてぱっと思い浮かんだのは、「夫婦」でした。
つがい&#10145;ペア&#10145;夫婦
扉のつがいをじっと見てて、
合わさったり、離れたりしてるのをみて、
これはあらためて“夫婦みたいだなぁ”と。  
離れててもそのままいきすぎれば、背中合わせにくっつく。
離れられず、縛られてることか!?
縛られてるからこそ、扉は開閉出来ますもんね。

夫婦は、世の中の扉の開閉のためにあるってことでしょうか!?

夫婦って、、、
なんなんですかねぇ、、、?

わたしも、扉をたててしまったので、、、なかなか扉ははずせませんが。はずさないように努力しますが。。
外したら重いただの板の扉を眺めながら、この重い扉を小さな金属で支えて、開閉している蝶つがいに
なんかとても深いものを感じました。
夫婦もでかいものを支えてるのかも。

小さな金属なのに、とても神秘的なネーミング「蝶つがい」
そのまま芸名になりそうな〜

身のない話でごめんなさい。。。

とにかく、
「蝶つがい」 
今後の情報公開がたのしみです!

私は今回もお休みさせていただきます。
共演がちょー羨ましい客演さんがた
は〜羨ましい!
きっと、というかこれは絶対面白くなりそうですね!

「蝶つがい」注目です!


レミーマルタン・コニャックでした。おやすみタバタ★★★
田端玲実「レミーマルタン・コニャックでした。」 | 08:40 comments(0) trackbacks(0)
気のせい〜&#10068;
『つかえる』

うるんだ目
ふれる尾
黒い心

下心満載の
初日の出

濡れた舌に
湿った
年始




<<あとがき>>

2018年も引き続きカムカムミニキーナをよろしくお願いいたします!

明けましておめでとうございます。

発表された『蝶つがい』詳細。
元旦より心踊らされました!
魅力的なキャスト。
16年ぶりのコバケンさん。わー、稽古場が楽しいだろうなぁ〜
ラッパ屋で拝見してる、谷川さん!
と共演!!
そして、佐藤さんに、富岡さん。
どんな世界観になるか未知数です。

あらすじを読んで、
ますます心が、まさにそう、タップダンスしました!

早く稽古場のぞきたい。

2018年もカムカムミニキーナ
乗ってます!


さて。
個人的には。

昨年の暮れに頂いたお花が一週間たっても頂いたままの状態でピンピンしていまして、
造花か!?と何回か花びらをつまんでみましたが、生花なことは間違いないようでした。

花は悪いものを身代わりになってくれると言われますが、
部屋の気の流れがいいってことかな、日々の掃除を引き続き怠けないようにしないと、と思っておりました。

年末になると、あふれる来年の運勢。
2017年は疲れぎみだったが、2018年の私の運勢はとてもよいとのこと。
それを聞いたとたんにハッピーになり、でも、そうだったかなぁと疑問をもちながら、
いや、あ〜確かに確かにと納得して。
ふと、目の前の花が元旦直前に私の悪いものをすいとって、2018年をハッピーにしてくれるんじゃないか!?
元旦に花が枯れてるじゃないか!?
身代わりになってくれるんじゃないか!?
と。
そのために、我が家にきたのかな
と、花に一応礼を言いました。

が、そんなはずはなくて、、、
元旦になっても引き続きピンピンしていました。

暮れの、“気のせい(気のおかげ)”と
年始の、“気のせい(勘違い)”
でした。

今年も、健やかに成長していきたいとおもいます。

レミーマルタン・コニャックでした。
おやすみタバタ★★★









KIMG0700.JPG
田端玲実「レミーマルタン・コニャックでした。」 | 08:51 comments(0) trackbacks(0)
頼ります!かなり頼ります!!
『目』

真正面少し上の目ども
目アニがついてても、偉そうにみえる
真正面少し下の目は、
挑んでくる、寄り添ってくる、太鼓もってくる
動く目
正直な目
バレル目

<<あとがき>>

来年カムカム公演「蝶つがい」アンサンブルオーディションの
応募締切が明日28日までとなりました。

http://www.3297.jp/topics/?p=844

是非一緒にお芝居づくりをしませんか!

吉田さんのTwitterにもありましたが、
カムカムのお芝居はアンサンブルなしでは、成り立ちません。

アンサンブルあってのカムカム芝居。

時空を越えた壮大な世界を表現する重要な役です。
なので、劇中誰よりも忙しい可能性は大。

加えて、かなり頼ります!
アンサンブルシーン以外に、お芝居づくりにも。
劇団員とアンサンブルの方々の隔たりは一切なし!
一緒にお芝居づくりをしていきます。

演出家の移行にそって稽古を進めるかたちでないカムカム。
みんなでアイディアを出しあって、ベストなシーンを作り、積み上げて、お芝居を成り立たせます。

アンサンブル募集というより、
芝居づくりメンバー募集です。
お芝居のサイドじゃない、お芝居のレギュラー人募集なのです!
ですので、
体力的にも、知能的にも大変でしょう。苦しいかも。でも、
やりがいはあると思います。

そんな大切な役をなぜオーディションで?

新しい風。
いつも同じメンバーのいいところもたくさんあります。劇団芝居しかできない芝居を突き詰められる。
それは新しい風がふいて風通しがよい場であればよりいい芝居が出来るじゃないかと。
オーディションメンバーとの共演はいい刺激です。


経験の有無は関係なし!
技術よりその人の魅力重視のカムカムミニキーナ。
とはいえ、自分の魅力なんて自分じゃわかりませんね。でも、誰にでも魅力はあるので、そこは気負わず、
とにかく、
お芝居づくりに興味があるかた是非!
その他
カムカムの芝居に出てみたい!
カムカムメンバーの○○と共演したい!
逆に、
カムカムどんなもんだい!と挑戦的な方も大歓迎!!

是非、新しい風を!!

明日まで、です。

お待ちしてます!


レミーマルタン・コニャックでした。おやすみタバタ★★★
田端玲実「レミーマルタン・コニャックでした。」 | 21:28 comments(0) trackbacks(0)
いただいた素敵な言葉たち
『心の出口』

煙草の、葉巻の
輪っかの煙りが
心への軌道をつくる
ギザギザの言葉は軌道を破って
うっ血させて、腫瘍をつくり
絹のようなサラサラの言葉は、
薄青白い乳液の優しさで
人の胸に入って、
ほんわりと温める

たくさん温まった胸は心になる

<<あとがき>>

今年もあと二週間。
毎日流れ続ける時間に、ここまでが今年で、ここから来年でとするのも何となく不思議な気もしますが、
伏し目をつけると気持ちがリセットできるから、年でくくることは必要なのかもしれません。

カムカム勢みんなそれぞれ、舞台に邁進してる様子。

「キラキラしてた」

観劇の感想で頂いて嬉しい一言です。
昔は、「つまり、若い=青いって意味なのかな」と、頑張ってる若手、と言われたみたいで、頑張ってた賞を頂いた感じで、まだまだだなぁと感じていましたが、
今は最高の誉め言葉に感じます。
人生でキラキラ出来る瞬間があるなんて素晴らしい!
それも、舞台の上でキラキラ出来るなんて本望!!!
です。
実際舞台を見れてませんが、、、
Twitterから、みんなキラキラしてる様子が伺えます。


話はかわりますが。。。

今年は、たくさん「おめでとう」を頂いた年になりました。
たぶんこの先もうないくらい、人生で一番「おめでとう」をいただきました。

娘の命の誕生をこんなに喜んでもらって。
カムカムメンバーからのありがたいお祝いの言葉。胸が熱くなりました。

座長からのお祝いの一言。
文章とは違って、連絡事項は端的な松村さんからのお祝いは、
余計なものなしのお祝いの言葉。

おめでとう。めでたい。 

多くをいわない父の一言のようで。
ズシンと響きました。それに絵文字も飾られていて。普段は絶対そんなことしないだろうに、その気遣いに恐縮。
ありがとうございます。。。
と絵つきでお返しするべきか迷いに迷い、「。」を増やしてお返事するのが、精一杯でした。

どんな用件でも、重くならず明るく端的に!
でいつも気遣ったLINEをくれるプリタ先輩からは、
だっこしにいきたーい!住所おしえて〜
と。
このお心遣いたっぷりのお祝いメッセージを受けとっていいのか迷いましたが素直に受けて、素敵なお祝いを頂きました。

後輩のみんなからも、それぞれお祝いのメッセージ。
先輩にお祝いのメッセージなんて色々気を使うだろうに、
それぞれの心のこめかたのお祝いの言葉を送ってくれました。
そして洒落たお祝いをしてくれました。

八嶋先輩からも、妊娠中から安産のお守りを頂いたり、気遣いメッセージを頂いたり大分お世話になりました。
その八嶋先輩に妊娠を報告したとき。
「おめでとう」と一緒に頂いた一言。

レミと一緒に(芝居を)出来なくなるのは寂しいけど

一緒に芝居する仲間(後輩)として見てくれてる、言っていただいたこと、
物凄くうれしかったのです。
命の誕生は、何よりも大切で、優先しなくてはいけないことですが、
惜しんでくれると、やはり嬉しい。
同時に、この先何よりも優先しなくてはいけないことなんだ、と感じました。
その他、大事に過ごすように、など。
母の心遣いメッセージのように、色々気遣って頂きました。


『>』を見にいったとき、やましげ先輩からお祝いをして頂きまして、そのお礼を伝えたら、

御祝いじゃなくて、御礼ね。

と。思わず、「!!!!」でした。

お子を見せてもらって幸せな気持ちになった御礼です。

と。なんて「カッコいい!!」というか思わぬメッセージ。
御礼と言われ、お礼の言葉がでませんでした。衝撃的で感動で。

わたしには出てこない一言。お礼の発想は、わたしには持ち得ていない。器が違うな、心のステージがはるかに上だ、と思いました。
こんな衝撃的なお礼を言われたのは初めてです。

稽古中何回か、用件に加えて「いつもいる人がいなくてさみしい」と気遣いメールをくれた元さん。
感謝です。

たくさんの温かいメッセージは、
私の心を、温め、優しくし、感謝の心をわすれないようにあらためさせて、
愛がつまって少し大きく育たせてくれました。

感謝です。

2017年、心を大きくして頂きました。


レミーマルタン・コニヤックでした。おやすみタバタ★★★
田端玲実「レミーマルタン・コニャックでした。」 | 21:24 comments(0) trackbacks(0)
母になる
『かか』

とうちゃんの下駄ひっかけて
肌色のシミーズ肩からずれて
かかとパキパキで
走る
何も恐れぬ無防備さ

うすピンクの前掛けが
戦闘服にも、看護服にも

自由自在になりかわる
忍術超絶技巧


<<あとがき>>

母になってまもなく5ヶ月になりますが、
胸をはって“母です”とはとても言えない、というか程遠い。
もしかしたら、この先ずっと“母”になる為に修業し続けるのかもしれません。

どうしたら“母”になれるのか。どうだったら“母”なのか。

本当の意味での“母”になれるまでには、もっともっと何かを着けていかなくてはならないのでしょう。

“母”という我が子の唯一無二の存在になるには、何かを地層以上に積み重ねて、何かを断捨離していくように捨てて、母の代名詞“太陽”や“大海原”のように暖かく包みこめるくらいにならなければ、
なれないのかもしれません。
いや、それ以外にもまだまだ条件があるのかも。

“母”になるということは、本当に大変なんだ
ということを5ヶ月の間、日々実感しています。

もし今ここで、娘の世話を誰かにバトンタッチしたら、その人が娘の母になってしまうんだろうな。私の温もりをもとめて私を追ってくるなんてことはないんだろうな、とふと思います。 
今の自分はまだ“保護者”。
なので、日々“母”になる“業”をつんでるんだなと感じています。

子育てとは子に育てられることだと本当に思います。

言葉は通じず、気をつかわず、遠慮せず、愛想笑いせず、ま正直な赤ちゃんを相手にすると、
自分の嫌なところ、黒いところがどんどんでてきます。そして、反省して、落ち込んで、で、繰り返して。
育児書、育児専門家のような育児は、広告のモデルルームだなと感じます。あの生活感のなさは、育児専門家の“美しい喜怒哀楽”にそっくりです。

一人の人間を育てるのは、大変で、責任重大。

生まれてまもない時は、とにかく命を“生かさなきゃいけない”と必死になり、少し大きくなった今、これからは、“生かす”プラス心を育てる
“はぐくまなくては”いけません。
(“育む”は、私の最近のマイブーム)

人は人が育てるしか出来ません。
狼に育てられた少女がいましたが、まれです。
それは、心を育むという、動物とははっきり違う責任があるからだなとつくづく思います。

はぐくめるだけの心を自分は持っているのか。自分の心ももっともっとはぐくんでいかないと。
 
試行錯誤です。
ぶれてはいけないと思っても、色んな情報に左右されてしまいます。
古墳のようにデーんと構えたいのですが。。。

子供を持つ前と、優先順位がガラリとかわった今。
一生かけて努めなくてならない“母”の役は、自分が描く役づくりどおりにいきません。。。

“命”を育てて“心を”はぐくむ。
一人の人間を育てていきながら、同時に自分を育ててると感じます。
子育てとは子に育てられること。

今はまだ育て、はぐくむことに必死で、自分を俯瞰してみられず、葛藤することもありますが
いい役を頂いたと思っています。

そして、この一生かけてやる役と、お芝居の役を、同時進行できるように頑張っていきたいとおもうのです。

レミーマルタン・コニャックでした。おやすみタバタ★★★
田端玲実「レミーマルタン・コニャックでした。」 | 21:44 comments(0) trackbacks(0)
ポロリ。。。隠せない本音
『天涯』

ぼやけてるのか 
もうそろそろなのか
そろそろなら、こんなに気持ちよいなら
それでよし

ひらひら
ほほ舐めるレースの風に
惑い犯され

白濁へ沈む

<<あとがき>>

“失言”と聞くと思い付くのはやはり政治家でしょうか。

なんでそんなこといっちゃったんだ、馬鹿だな〜
と思うのと同時に、
その人の結局のところの本音がバレて、口だけじゃん!
となるパターン。

人間、本音を隠しきるのは難しいのでしょうか。ついポロリしてしまうもんなんですね。

先日、目の前でポロリを聞いてしまいまして。

娘の検診で保健所に行った時のこと。
トイレに行く間、他のお母さん待ちの赤ちゃんと一緒にベビーベッドで寝かせ、保健所の方に見ていてもらいました。
トイレに行く前からグズグズしていた娘は、案の定帰ってきた時にはワーワー泣いて保健所の方にだっこしてもらっていました。
お母さんがいったら泣いちゃって、と渡してもらって、眠たいみたいでとお礼とお詫び。
とてもにこやかでやさそうな保健所の方。

娘を渡してくれた後、ベビーベッドにいる他に見なくてはいけない赤ちゃんを見て、その赤ちゃんはキャハキャハ笑って機嫌がよさそうで、「こっちはいい子だ」と。

あれっ?えっ??

赤ちゃんは泣くことでしか訴えられない。赤ちゃんは泣くのが仕事。
て、教えてくれた方々からそのような言葉がでるなんて。

自分の娘が言われたからそう思ったのではなくて、
もし、娘がいい子側であったとしても同じように思ったと思います。

赤ちゃんは泣くのが当たり前と言えども、やはり泣かれるのはやっかいなのでしょうか。

思わぬところでのポロリに、“結局のところの本音”を目撃し、
失言で退任した政治家を思いだしたのでした。

本音は隠せないのですね。
性根からそう思わないと。
綺麗事はバレていきます。

レミーマルタン・コニャックでした。おやすみタバタ★★★
田端玲実「レミーマルタン・コニャックでした。」 | 21:56 comments(0) trackbacks(0)
今年という年。
『コトシ』

ゆっくり編んでいく髪を
バッとおろし
ばっさり切って席につく
手にある切符は
向こう見ず
鞄にしまうか
乗降口にいれるか

<<あとがき>>

11月最後の水曜日。
今年も残り1ヶ月となりました。 
昨年の今頃を思い起こすと・・・
昨年とはずいぶんと環境がかわりました。
カムカムのお芝居をお客さんとしてみる。

カムカムのお芝居。
よくわからないという感想をもらいますが、どうしてそう感じるのか。

想像力が多めに必要だからかも。
『狼狽』観た時、そう思いました。

群像劇、目まぐるしい展開、境界線を越えた設定、ハッピーエンドで終る訳でなくむしろ何も変わらず物語は続いていく。かつ、テンポが早い。
直ぐに体にスーと入り込んで自然に共感する物語では、確かになくて
自分に寄せるには想像力が多めに必要だなと。

言葉にするのが難しいものを描いているから

カムカムの芝居がわからないと言われる理由を松村さんがこう綴ってました。


なるほど。
わからないけど、面白かった
と言ってくれることもありますが、これは、言葉にするのが難しいけど存在するものを感じ取ってくれたということなのか。
そしてそう感じてくれたお客さんが多かったとのこと。

実際、言葉にするのが難しいものは、世の中に多いのではないでしょうか。
それを昔はみんな感じていたけど、だんだん言葉が優先するようになって、感覚というものがあてのないものになってきたのでしょうか。

言葉にするのが難しい実態するもの、世情を描き続けるカムカム芝居。
お客さまの反応が楽しみです。それ自体が世の中の動きにつながっているのですから。

レミーマルタン・コニャックでした。おやすみタバタ★★★
田端玲実「レミーマルタン・コニャックでした。」 | 22:07 comments(0) trackbacks(0)
身分を遠慮して・・・・・
『遠慮』
都合、都合とつつく
時鳥

首輪をギューとしてめ
ひ爪にひっかけて
鍵の鈴にしたいけど。。。

はやく
風見鶏にかりゆくを
ねがう

<<あとがき>> 

文化祭のシーズンなんですね。なんでしょうか〜?
“文化祭”の立看板を学校や公民館前でチラチラ見かけます。

文化祭。
学生の時以来ご無沙汰です。

自宅近くの区民ひろばでも文化祭イベントを実施。
乳幼児対象の年一のイベントで貴重なので是非!!
という施設の方の勧めで参加してみることにしました。

プログラムを見ると“劇”が組み込まれてました。

“劇団○○○○○○(季節に特化した野菜の名)”。

市民劇団なのか、こういう公共施設をまわる巡業劇団なのか。
歌のお姉さん、お兄さん的な子供に語りかけながらの劇なのか、知ってる昔話の劇なのか、オリジナルの劇なのか。

小学校の時、年一お芝居を見る行事があり、毎年楽しみだったのを思い出しました。私が役者になったのも小学校でみた劇の影響が3分の1くらいあります。

その時のワクワクがよみがえりまして、
けっこう凝った劇なんじゃないか、
子供向けとみせかけて、最初は子供がキャハキャハ言ってたけど、ラストは会場がシーンと劇に集中するような、心に響くような劇なんじゃないか!?
「貴重な」というくらいだから、もしかしたら大衆演劇の方がいらっしゃるのでは!?
と、想像が膨らみとても見たくなって、寝てる娘を無理矢理だっこして区民ひろばへ。

会場に着くと、特別な“舞台”という設置はなし。「あれっ?劇はどこで?」と舞台を探すと、幼児用の椅子、パイプ椅子が並べられたスペースあり。その正面には長机が縦に二つ並べられていて、その上に白い台がのっている。どうやらそこが舞台のよう。
シンプルさに、勝手に膨らませた期待がもしかしたらほんとに“勝手に”で終わってしまうのでは、、、とちょっとがっかりしそうになるも、
シンプルな舞台セットからの〜↑
というのはお芝居にはよくあるし、長机と白い台が色々なセットに変化するのかも。それこそカムカム的なのかも!?
と、あきらめず、期待することを続けました。

劇が始まるまでの間、保母さんが作られた手作り玩具を施設の方に勧められる。
「ペットボトルのキャップとビーズとホックで!?すごーい!!」
と、本とに凄かったんだけど、明らかにちょっと大袈裟に受け答え。それだけ劇が気になって。「あの〜劇は〜?」「ちょっと待ってください」と時間を確認する施設の方。確認が必要なくらいの、メインイベントではないのかぁ〜?・・・

まもなく始まるとアナウンスがあり、席につくけど、役者らしい方は見当たらず、係りらしい人が二人の長机&台の舞台セットや、会場を確認してるだけ。もしかして・・・
もしかしてがその通りで、その確認していたそれなりの年の男女が“舞台セット”の前にたち自己紹介。

○○ちゃんでーす!○○ちゃんでーす!劇団○○○○○○でーす!

劇が始まりました。正しくは“人形劇”が。

色々間違って期待してしまったことを反省。

人形と紙人形をつかった人形劇。
入りは、紙人形を使って手遊び歌をみんなで。

人形と紙人形のクオリティはさすがでした。

わたしは実感しました。しょっぱなは大切だ。

見てる人の倍は高めのテンションで。プラス、見てる人にむけて心をガン見するくらい直球で。口角は上げたほうがよい。顔はよく動いたほうが良い。

朝一、しょっぱな、入り。
この状況は、どんなお芝居でも特別にセッティングされていないかぎり難しいんだな。

私の勝手な思い込みで、余計なお世話で、そんな必要はないかもしれなかったけど、
同じようにお客さんを前にすることがある身として、“入り”を手助けしなきゃという気持ちになり、全く興味を示さない娘を使って、手遊び歌に乗りまくりました。

あっためなきゃ、あっためなきゃ。

隣はお母さん同士で話をはじめ、隣はほんの数分であきた子供をあやしてる間で、明らかにそっぽをむいてる娘を楽しませ、悪いけどもう楽しんでものとして、乗りました。

入は大変。私はよくわかります。

なんだかそれを伝えたいみたいになってるなぁ。

劇中、演じてる方の顔、まわりの反応が気になり、小道具の仕掛けに感心するお母さんの声にはっとして人形劇を見るという状態。
結局一番ダメなお客さんだったかもしれません。

メインの劇になり、人形や手作り小道具の仕掛けのクオリティが高く、それに感心して子供たちも親も劇に集中。

親子連れの劇は、子供だけでなく、親のほうも何か気のきいたことをしたり言ったりして楽しませなきゃいけない、
のも実感。

ただ気になるのは、二人のうち女の方だけが演じていて、もう一人の男の方の登場がないこと。合いの手を入れるような入れないような不思議な感じだし、黒子的な感じでもなく。
舞台後ろを左右に移動するけど、意味があるようにも見えない。
最後の一言、とか、なにかデッカイ役割があるのかな、自己紹介したんだから何かあるはず
とその人も気になりながら、結局人形劇をきちんと味わわず終演。
そして、
最後の最後まで、男性は何もせず終わりました。自己紹介と最後の挨拶のお辞儀のみ。

色々間違って期待した観劇でした。

次の公演は、30分後とのこと。ジャニーズ公演なみのハードスケジュール。しかも全部別の演目とのこと。
男性は、大量の人形小道具を作成さしている方なのかもしれない!?

レミーマルタン・コニャックでした。おやすみタバタ★★★
田端玲実「レミーマルタン・コニャックでした。」 | 09:05 comments(0) trackbacks(0)
結局のところ。
『地面』

土踏まず
見上げて
アーチ
薔薇の刺

見送りじゃなし
落とし罠


<<あとがき>>

『>(ダイナリィ)』終わってしまいました。

体の疲労、脱け殻状態、、、
『>(ダイナリィ)』後遺症?が、みんなから伺えます。
そのぶん今回の『>(ダイナリィ)』がみんなの血となり、肉となるんだろうなぁ。それも、濃い血、赤身の肉に。
それほどの公演だったということで、
そんな公演を出来ることはとても羨ましいですね。

『>(ダイナリィ)』
ラストの母娘のシーンが今でも目に焼きついています。
マリヤの歌が流れるなかで、
泣いている娘の葛葉と、そっぽを向いている母の紅葉。
その二人の姿がとてもむなしい。何も満たされない虚無感みたいなものが、とても印象的でした。

葛葉は、そこで狐に取り憑かれ、そのおかけで紅葉も色々潤うことになるりのですが。
でも、むなしい。

考えてみると、葛葉や紅葉だけじゃなく登場人物みんなにむなしさを感じます。
何かに取り憑かれ、いくとこまでやりつくしてたのに、何も満たされていない。

台詞にもありましたが、まさに

“いったいなんなんだー!”

です。
そして、ただただむなしく感じました。

この“むなしさ”は、いったいなんなんでしょうか。
何も解決されず、満たされないないこの感じは。

そのモヤモヤとした感じ、むなしいさが、
ラストの二人の姿に集約されてるように感じました。

そして、今でも二人の姿が目の奥によみがえります。
野狐善狐人狐妖狐〜♪の歌詞に乗って。


何年か後に再再演予定とか。
その時はどんなふうに『>(ダイナリィ)』を感じられるのでしょうか。
むなしさのワケがわかっているのでしょうか。


レミーマルタン・コニャックでした。おやすみタバタ★★★

田端玲実「レミーマルタン・コニャックでした。」 | 23:13 comments(0) trackbacks(0)
“器”という感覚  ありましたか〜?
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『コインロッカー』

満室のまん中の中
鍵がかからないまん中は
相室を許す
下駄箱のよう
一生の他人、一瞬の縁
匂いがうつる
汁がふれる
うつる
のみこまれる

無防備な枠


<<あとがき>>

『>(ダイナリィ)』

あの過酷なお芝居を休演なしで。
出演者の気力、体力ギリギリ。

皆が放射している熱量を是非浴びて欲しいです。
あれだけの熱量をもってしないと伝わらない、それだけ伝えたいことがある
お芝居なんだ
と、先日観て感じました。

あるお客さまの感想に、
「止まると死んでしまうかのような」
というのがあり、
まさにそうだなと。

止まらない。

止められない。それは取り憑かれてるから。

取り憑く。

『>(ダイナリィ)』のテーマです。
何かが取り憑いて自分を動かしているので自分では止められない。
自分は“器”でしかない。

“器”でしかない

この感覚、正直自分には全くなく、取り憑くものの言い分だと思ってました。
ですが、『>(ダイナリィ)』でも、またパンフレットの松村さんの挨拶文にもありますが、
私たちは器でしかない。

演劇に取り憑かれ、演劇に溺れて、とんでもないとのを呼び寄せてしまうところを、脱獄した憩さんが箒で芝居に戻そうとするシーンで、ハッとします。

何かに動かされてる。

自分も、何かに動かされてることをわからずに、とんでもないものを引き寄せてるのかもしれない!と。

『>(ダイナリィ)』のメッセージはここなのかもしれません。

ハイッ!
演劇の稽古で、一旦止める時の演出家の手拍子つきのかけ声。
ちょくちょくこの“ハイッ!”を心の中でかけていって、来た道を確認しないと。


昔の話には“取り憑く”というワードがよく出てくるように思います。
“取り憑く”ということは日常的なことだったのでしょうか〜?
とすると、、、、
“器”という感覚も、昔の人には普通だったのかしら?

“取り憑く” とか “器” とか
今だとスピリチャルよりですが、
それを当たり前のようにとらえていた昔。
実は、それが神秘とかでなく、大事な感覚で、なくすととんでとないことになるし、なろうとしている現代、
を伝えようとする『>(ダイナリィ)』。

神話を題材にすることが多いカムカムのお芝居の根っこみたいなものを
『>(ダイナリィ)』で、感じました。
おくればせながら。。。

さぁ、
みなさんの“器”には何が取り憑いてますか〜?


『>(ダイナリィ)』今週日曜まで!是非!

レミーマルタン・コニャックでした。おやすみタバタ★★★
田端玲実「レミーマルタン・コニャックでした。」 | 22:27 comments(0) trackbacks(0)
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